厄除け その5

次に「3,生き霊によるもの」ですが、多数の人々から強く恨まれたりする場合に突発的な災いに遭うことがあり、また本人だけでなく、家族に影響が出ることもあります。

 なかなか、人から恨まれずに生きるということは難しいと思いますが、逆恨みも含めて生き霊の影響は意外と怖いものです。

 また、多数の人々からでなく、生まれつきのテレパシー性質や、特殊な鍛錬よって強い念力を持つ人物(武道家や行者など)からの個人的な影響を受けるケースもあります。

以前、あるジャーナリストが、カリスマ柔道家木村政彦氏にプロレスラー 力道山との思い出について取材した際、プロレス興行当時、力道山にだまされて大敗し、以来、自身の額に「怨」の文字を念じて力道山を呪いつづけていたところ、力道山が暴漢に襲われ刺殺されたのだという。ジャーナリストは、「それは偶然ではないのか?」と聞くと、「では君も同じように念じてみようか?」と木村氏いわれ、びびって逃げるように引き上げたそうです。

また、生き霊の念というのは、無意識に発動する場合もあるようです。以前、ある地方の営業所にいたとき、知人が車で訪問してきたのですが、知人が部屋に入るなり、営業所のおじさん(少し変わった人です)が、「外の駐車場でもう一人、女性が待ってるよ」といいました。わたしは、「は?」と思いましたが、知人はびっくりして、「実は妹が一緒に行きたいといっていたのだが、急用で行けなくなってしまったので、もしかしたら妹が見えるのかも?」といってました。その時点で妹さんは、急用に追われていたのですが、行きたかったなあという思いが無意識に生き霊となって営業所にあらわれたのではないかと思われます。

 生き霊を避ける、または普段から防ぐ仏教の法としては、観音信仰があります。観音さまの功徳を伝える法華経 普門品、いわゆる「観音経」の中に、「呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人」(呪いや毒などを用いて、あなたを傷害しようとする者がいても 彼の観音菩薩を念じるなら 害をはねのけて返してしまうので実害はなくなる」とあります。

 せちがらい世の中、どうぞ、観音経を念じて思わぬ災いから身を守りましょう。

 

厄除け その4

次に「2,突発的な影響によるもの」としては、手に入れた人形やアンティーク、造形物、絵画、石、仏像、掛け軸、刀剣などから受ける影響による災厄があります。

 

知人からいただいたり、購入したりしたものの中には、故意によらず「念(思い)」が込められていることがあります。特に骨董品などは注意した方がよいでしょう。

持ち主が大事にしていた人形には、自然にその思いが入り込み、一種の命を持つこともあります。その命は持ち主の思いが反映されるため、良い影響(家族や個人を守ったり、危難を知らせるなど)をあたえることもあれば、悪影響(家族や個人の運気を阻害したり、災いを招くなど)をあたえることもあります。

また、人と同じ形をしていることから、浮浪している人霊や動物霊が入り込んで住み着いてしまうこともあります。

 現代民話の松谷みよ子さんが全国から収集した聞き語りの中にも、祖母が大事にしていた日本人形が、孫が交通事故に遭う日にちを事前に家族へ夢知らせして救ったお話や、重病の子供が大切にしていた人形を子供の身代わりにとお寺へ納めたところ、毎夜、その人形が本堂を歩きまわる姿が住職に目撃され、同時に、子供の夢にも度々あらわれ、「病気は仏さまに治していただくようお願いするから、わたしをお家に返してちょうだい」というので人形をお寺から自宅に返していただいたところ、子供の病気が治ったというお話もあります。

 造形物では、作者の心理状態や、旧持ち主に強いマイナスの思いがあると茶碗や壺、絵画などでもその思いが入り込んでしまうことがあるため、直感的によくないと感じる場合は手に入れないほうがよいでしょう。

 

 石も、過去に墓石であったものや、生き物の思いが染みこんでいることがあります。

 実際に、あるお家が庭石として購入した石を庭に据えつけてから、家族が事故や病気に見舞われるなど目に見えて家運が悪くなりったため、知り合いの霊能者に鑑定してもらったところ、その石には飢饉で亡くなった子供たちの慰霊碑になっていた自然石なので、すぐ元の場所に戻すよう言われたそうです。実際に石は、東北のある地方から取り寄せたものであり、家主も思い当たることがあったようで直ぐに元の場所へ戻したそうで、その後は平穏無事に暮らせるようになったとのことでした。

 

仏像は、なかなか素人にはお祀りしきれないものですので、信仰を指導してくださる導師がいない場合は自宅に置かない方がよいと思います。

また、本気で信仰するために自宅にお祀りする場合は、信頼のおけるお寺で開眼入魂していただき、日々のご供養法を教わって実践することが大切です。

なお、海外から入手した仏像や人形などには注意しましょう。なかには、大変悲惨な戦乱を経て、巻き込まれた方の悲痛な思いや、何らかの恨み、怒り、憎しみなど、強い念がこもっているものもあります。わたしの身近にも同様の経験談がありました。

 

刀剣には、まれに実際に人を切ったものもあり、切られた方の強い念により妖剣となっているケースがあります。その刀剣を手にしたり、家に置いておくと、家運が悪化したり、事故や事件が起こる場合もあるため気をつけましょう。

 

 

 

 

 

 

厄除け その3

次に、2の「霊的な問題からくるもの」についてですが、これも大きく分類すると

1,先祖によるもの

2,突発的な影響によるもの

3,生き霊によるもの

4,神仏によるもの

5,動物霊によるもの

などになります。

 

1の「先祖によるもの」は、ご先祖さまが供養を求めている、または、何かを伝えようとしている場合に起こる災いであり、世間には意外と多くみられます。

 お墓やお骨の状態(掃除や参拝、供養がなされているか)、仏壇の有無や状態、お彼岸・お盆・命日の供養などをチェックして、ご先祖さまの声なき声に耳を傾けることが大切です。

 このケースに関しては、宜保愛子さんのご著書が大変、参考になりますのでぜひお読みください。私も長年、仏教の世界から霊的世界を学んできたつもりでしたが、宜保さんの説かれる世界に目からウロコの落ちる思いがしました。

 生きてゆく上で、いかに先祖供養が大切なことであるか痛感しました。

 

 小原師の教えでは、ご先祖さまにとってお墓が本拠地、仏壇が中継地となり、自宅の仏壇を通じてお墓のご先祖さまと交流することができるそうです。

 また、お墓は、墓相も関係しますが、家系調査を長年、続けられた調査士のお話では、「お墓を見れば子孫の状態がわかる」そうで、ある形状のキズや欠損、汚れ(苔など)の目立つお墓の子孫には、たいてい特殊な事故や不思議な病気で苦しむ方が出ているとの報告もあります。

 風水でも、子孫の住む家は「陽宅」、ご先祖さまの済むお墓は「陰宅」といい、表裏一体であるとしています。よい家に住みたいなら、まず、先祖の家を良き状態にするということでしょう。ですから昔のひとは、「墓を建てれば家が建つ」ともいいました。

 そして、できるだけお墓は、「墓」の字面のとおり、草の生える、陽の当たる、土の場所に人(先祖)を葬ることが望ましいのです。陰気な場所や、騒がしい場所、また、セメントでお墓の表面を固めることは、なるべく避けたいものです。お骨も、できるだけ早く土に返してあげることが望ましいようです。

 

 

 

 

 

厄除け その2

厄除けといっても「厄」自体が基本的に、目には見えない世界の働きですので、よけるには目に見えない世界の力によって働きかけることになります。

まず、「厄」そのものの主な要因は、

1,運命的な凶運・衰運の時期

2,霊的な問題からくるもの

3,環境からくるもの

4,心や言葉からくるもの

といったところでしょうか。

 

1の「運命的な凶運・衰運の時期」は、昔から言い伝えられている厄年をはじめ、占星術から割りだされる生命力が衰え、リズムが乱れる時期(天中殺、空亡など)であり、人生のバイオリズムとして誰にでもかならずやってきます。

 この時期は、なるべく新規の動きを始めない、大きな決断は避けるなど、できるだけ外向きの積極的活動は控え、内的な充実(資格の取得、勉強など)をはかることが望ましいとされています。つまり、季節でいえば冬なので、春の活動に向けて冬眠し、鋭気を養う時期です。

 そういった意味で、「成功は凶運期のありかたによる」ともいわれます。厄年の凶運期にこそ、じたばたせずに内面の足場を固め充電して、やがてくる春に備えるわけです。反対に冬であることに気づかず、あせって芽を出してしまうと、春がくる前に萎れてしまうことになります。

 人間も自然の一部ですから、自分だけの季節を知ること、それが、占星術や厄年を活用する意義でしょう。

 このような凶運・衰運の時期を転換する方法は、占星術や風水、密教にもありますが、避けるというよりも活用したほうが現実的のように思います。

 ちなみに台湾などでは、凶運期に入った時期は、すすんで寺院などへ喜捨(財物を神仏にささげること)することを厄除け法として行っているそうです。つまり、災いが起こる前に、自分から災い(財産を投げ出す)を作って事前に精算してしまうということです。

 仏教財施にも同様な意義がありますが、財施の徳を積むことで、仏さまや諸天善神のご守護をいただくことができ、諸事円満に過ごせるといわれます。

いずれにせよ、運のよくないときは、内面世界(心がまえ、反省、感謝、信仰、先祖供養など)に目を向けてみることが開運のきっかけにつながるものと思います。

 

 

厄除け

今日は、「厄除け」について書いてみます。

 

いろんな「厄年」がありますね。

たとえば一般的に、男性の本厄は、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳とされ、特に男性の42歳、女性の33歳は大厄ということで要注意といわれています。

その他、様々な占星術により、名称は違いますが災いの起きやすい年・月・日があります。

わたし的には、四柱推命の空亡と、九星術暗剣殺・歳破を重視しています。

 

厄年は、トラブルが起きやすい年でもありますが、一説に本来は「役年」であり、神仏をはじめ、世の中の役に立つことを積極的に行うべき年であるともいわれます。そういえば、よく神社の祭礼などで、厄年の男が選ばれて奉祀のお役をつとめていますね。

できる範囲で自分よりも、神仏やご先祖様、家族を優先にして、社会に奉仕する。その姿勢が、天に通じて災いから免れることができる、または、大難を小難に、小難を無難にするという古来の智慧なのではと思います。つまり、自分を「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」ということなのでしょう。

 

以前、NHKの番組で、作家の瀬戸内寂聴さんが、中学校で特別授業をして「自分よりも他者のために尽くす」ことの大切さを説くという放送を見ましたが、中学生にはあまり理解できずに反論されて、さすがの寂聴さんも少し困っているようでした。

わたしも学生のころは、自分よりも他に尽くすことは単純に損をするような感じがしてメリットを見いだせかったものですが、社会に出て様々な経験をしてみると、人に喜ばれるとなんか自分の幸せにつながるのでは・・と体感されるようになりました。

 

何でかはよくわかりませんが、たぶん喜んだ方の感謝の思い(念)がこちらに届いて、見えない力となって助けてくれているのかもですね。

「念」という思い、心の力(エネルギー)は、学校の授業では教えられませんが、この世界を動かしている原動力は「念」だと思います。

 

「味方が増えるほど幸運を呼び、敵が増えるほど不運を呼ぶ」

 

味方を増やすことこそ、厄除けの基本です。

神仏を味方につける智慧が「信仰」。

ご先祖様を味方につける智慧が「先祖供養」。

そして、厄年(または、落ち込んでいる時)こそ、家族、友人、周囲の人々、社会にあらためて感謝し、大切にして、味方になっていただく努力をする。

厄年(ピンチ)こそチャンスと心得て、心あらたに再出発しましょう。

 

 

 

今日は観音さまの日

 はじめまして。

 今日18日は、いつもわたしを守ってくださる観音さまのご縁日ですので、今日からブログを始めたいと思いたち、さっそく書き込みしています。

 

 わたしは、学生の頃からなぜかやたらと仏教、特に密教の世界に惹かれて、16歳の頃には、独りよがりながらも仏教修行の道に入りました。 

 以来、今にいたるまでその信仰と修行は続けておりますが、数年前、ちょうど男の大厄といわれる42歳の年にとても大きな転機があり、自分の生き方を見直さざるを得なくなりました。

 大厄なんて昔の言い伝えと軽くみていましたが、わたしには本当に当たりました。たしか、西洋占星術の大家 鏡リュウジ先生もホロスコープからみて大厄とされている時期は注意すべきと警告されていました。やっぱり、昔からの言い伝えって大事かもです。

 

 突然、襲いかかってきた大きな苦難に、これまでの信仰も学びもすべて吹っ飛び、茫然自失とはまさにこのことと、本気で自殺を思いつめる日々でした。

 

 そんな中、「捨てる神あれば、拾う神あり」とはまさにこのこと、弘法大師さま、観音さま、尊天さま、そして、般若心経読誦行の大家 小原弘万師の霊的導きを得て、ようやく生きる力を取り戻しつつある現状です。

 

 仏道修行をしていながら、このような苦境に吞みこまれてしまったことは、自分自身への甘さや過信、現実をナメていた油断があったものと思っています。

 

 一度は仏道を捨てた身ですが、新たな命をいただいた者として、わたしをも含めて、苦しむ人の杖となるような響きを発信してゆけたらと思います。